1955年、粉ミルクの中に猛毒のヒ素が混入し、130人の乳児が死亡した「森永ヒ素ミルク中毒事件」。今も重度の障害を持つ被害者は多く、還暦を迎えた被害者同士が支えあいながら仲間の救済活動を続けている。13日に和歌山県・高野山である60年記念式典と合同慰霊祭を前に、被害者たちを訪ねた。
「体の調子はどう?」「大丈夫。手を上にあげられるようになった」「10月のお泊まりのイベントには一緒に行こな」
今月7日、奈良市杣の川町の知的障害者入所授産施設「あおはにの家」に入所している上田孝子さん(60)を、「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」奈良県本部常任委員の勝井篤子さん(61)、吉川佳津子さん(61)関容子さん(61)が訪れた。全員、乳児の時にミルクを飲んだ被害者だ。障害のある仲間を訪問して交流を深める「ふれあい活動」の一環で、勝井さんは「同じ被害者の仲間として、できる限りつながっていきたい」と話す。13日にある合同慰霊祭には勝井さんが参列する予定だ。
救済事業を担う「ひかり協会」(本部・大阪市)によると、ミルクを飲んだ被害者は1万3440人。多くは健常者に戻ったが、711人は今も重い後遺症に悩んでいる。
上田さんもその一人。重度の知的障害や視野狭さくなどがある。92年に入所後、作業所で小さな機織り機で織物を作る仕事に就く。「器用でしっかりもの。商品が売れたら励みになるみたい」と社会福祉法人「青葉仁会」の乾伸子生活支援部次長は優しく見守っている。
事件から60年がたち、救済活動の担い手は、親たちから被害者たちに移った。だが被害者自身の高齢化への不安が募る。ひかり協会の塩田隆常務理事は「ひとりぼっちにしない、自分もならない」を合言葉に、被害者同士の支え合いがひろがっていってほしい」と話す。健康管理などを仲間に呼びかける事業協力員も約650人に増え、被害者による被害者のための救済事業がしっかりと根づいている。
救済事業に534億円
「被害者が最後の一人になるまで救済を続けるという、恒久救済事業には、加害企業である森永乳業の資金提供が欠かせない。74年以来、計534億円。同社の港毅渉外部長(51)は「救済事業を続けるのは我が社の使命であり十字架だ。新入社員の入社式の時には必ず事件のことを説明する」と話す。5年前からは「守る会」の役員に直接、事件のことを話してもらっている。社員からは「叱責されて当然なのに、『救済事業のためにも仕事に励んでください」と言ってもらえて感動した」という声が多いという。