守る会とは

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設立趣旨

正式名称を「森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会」と言い、被害者本人とその親族で構成された団体です。
昭和30年8月に事件が公表されると、被害児の親たちはただちに被災者同盟をつくり、やがて各府県の組織が集まって被災者同盟全国協議会(「全協」)が結成されました。「全協」は、当時の社会的条件の中で昭和31年に解散を余儀なくされ、各府県の同盟も順次解散していきました。しかし、岡山同盟の一部の親たちは同年6月、「岡山県森永ミルク中毒の子供を守る会」を発足させ、地道な運動を続けました。
昭和44年10月、大阪大学丸山教授の『14年目の訪問』発表を機に、守る会は再び全国組織へと発展していきました。そして、ひかり協会設立までの間、「恒久対策案」(歴史的資料に掲載)の作成、森永製品の不売買運動、民事訴訟などをすすめ、ひかり協会設立の基礎となった三者会談(厚生省・守る会・森永乳業の会談)を成立させました。
ひかり協会設立後は、三者会談確認書(歴史的資料に掲載)にもとづき救済事業の推進を支えています。

立ち上がる被害者たち(1973年徳島市)
守る会が毎月発行している機関誌「ひかり」

「14年目の訪問」40周年記念シンポジウムの記録画像を配信中
 (「事件と被害者救済」の一番下のページを開いてください。)

 
ひかり協会ホームページもご覧ください

    http://www.hikari-k.or.jp/

 

● 60周年記念冊子(還暦記念誌)500円で頒布中。お申し込みは、06-6371-5304(守る会 平松)まで。どなたにでもお分けします。

● 記事内容で個人名が書かれているものもあります。お名前の削除要請については上の電話番号までご連絡ください。 

 

 

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