「14年目の訪問」にかかわる話⑤(被害児の親から丸山教授に寄せられた手紙)

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被害児の親から丸山博教授に寄せられた手紙(初公開)

 事件は解決したものとされて14年間、医者からも社会からも見放されて社会の片隅で生きてきた被害者とその家族に、突然の朗報がもたらされます。大阪大学医学部丸山博教授が被害児の追跡調査結果を日本公衆衛生学会で発表するという報道です。
 新聞・テレビ・ラジオ・週刊誌でそのことを知った親たちは、「やっと暖かい光が差し込んできた」と喜び、わらにもすがる思いで丸山教授の元へ感謝と激励の手紙を送ります。その数は100通近くに上りました。ほとんどの手紙は14年間の苦しみと被害児の障害や症状を切々と訴えるものでした。
 丸山博氏逝去後、ご遺族の厚意により、守る会・ひかり協会にその手紙などが寄贈されました。今回、「14年目の訪問」から50年となり、当時の親の思いを知るための貴重な資料としてその一部を初公開します。なお、個人情報に配慮して、個人の特定ができない形をとらせていただきます。
丸山教授のもとに続々と届けられた被害児の親たちからの手紙やはがき(一部)
丸山先生はすべてに目を通し、留意すべきところに赤ペンで傍線を引き、必要な返事も出された。

広島県  母親

前略  私はひ素中毒被災者で後遺症に悩む子供を持つ一人でございます。
本日の新聞を見て、躍り上がるばかりのよろこびです。先生は過去1年間にわたり調査をしていただいたと聞き、陰ながら厚くお礼申し上げたい気持ちをお察しください。
 過ぎ去りました14年間毎日暗い思いでございました。私の子どもも発作(怯えたようにうなり、唇は青く、顔面蒼白となりガタガタとふるえます)を起こし、手足が痺れて思うように利きません。知能指数は20くらいです。
子供の将来を思うと先は真っ暗です。どうか先生のお力によりまして、未来に灯を与えてやってください。
 突然で、思う様に書けませんが、どうか先生のご指導を賜りたくお願い申し上げます。農閑期にでもなりましたら、一度上阪致したく存じて居ります。
    10月20日              広島県  母

 丸山先生 様

大阪府  母親

 森永粉乳中毒事件の件、10月19日付読売新聞紙上で読みました。そのことについて筆を執りました。
 実は私の子ども、昭和30年3月●●日生まれ、現在中学3年生。●●●●と申しますがその患者の一人です。
 その当時、頭の毛が抜け、全身に赤い斑点ができ、近くの医院に行きましたが、原因不明で大津の日赤病院で手当てを受けていました。その当時いろいろとあり、総会等にも参加しました。
 現在その子は、幼児期より知恵遅れで、学力は1年生程度で、新聞に書いてあった人たちと全く同じ症状です。誠にすみませんが、一度調査していただきたく存じますので、よろしくお願いいます。
   10月21日                 かしこ

香川県  母親

拝啓 不躾ながら書面にてご報告申し上げます。先日の新聞紙上にて先生の森永砒素ミルクの後遺症の件を拝読いたし、早速ご報告させていただきます。
 14年間のもやもやをぜひお聞きとどめくだされば幸いかと思います。
私の一人息子●●は中学3年生ですが、出産の際、未熟児(7か月)で生後8か月くらいまで順調に育ち、やっと男の子がさずかったと思う間もなくこの恐ろしい森永砒素ミルクの中毒にかかり、主人をはじめ家内一同がっかり致し、何をかせねばならないと、小さい生命のこととて、家事や他の小さい子供を家に残し、あの暑い真夏の最中に毎日毎日日赤へ血液の検査や小さいお尻にバルの注射を打ちに、約2か月くらい通院いたし、ようやく峠を越し、当時の四国新聞にも本人の全身写真が載せられ、通院の患者の内では重症の方でしたが、森永からはただ、印刷の礼状と森永マンナ1缶だけのもので、そのあとは何の問い合わせもございませんでした。
 その後ずっと中学1年くらいまで、たびたび貧血などで学校の先生から連絡があり、1学期に3回くらいは必ず電話があり、私が学校まで迎えに行き、早退がよく続きました。
 小学校の時は体育をよく休みました。食事もいまだに偏食が多く、魚・肉類は一切食べません。特に現在までずっと頭痛がたびたびあり、時には試験の時も頭痛のためやむなく欠席することもあります。耳の病気にも2~3回なり、気管支炎もかかり、それにともない鼻炎も起こします。
いつも主人とこのようなことを何処へどういう様に訴えたらよいのかと話していたところです。この高松市にも砒素患者のかたがたくさんいらっしゃるのにどうなさっているのかと思います。
 是非、この際におきまして森永砒素患者の悩みを解決していただきたいと思います。是非、グループの一人として全国の砒素患者の家族の方々といろいろな点でお話合いを致したいと思います。
とりとめのないことを申し、乱筆にて失礼いたします。先生、どうかよろしくお願いいたします。
   10月23日    丸山博教授 様  

広島県  母親

 突然にお願い申し上げます。朝日新聞で森永ミルク中毒の記事を見まして、大変うれしく思いました。14年たちました今日でも心に留めてくださる人のいることに感謝いたします。
 私の子どももその一人でございます。福岡県に住んでいる時にヒソ中毒にかかりました。4人目の子どもでございます。中毒にかかるまでは何も気づきませず、上の子ども3人と同じように育ったように思います。先天的なものでしたら、それまでに何か変わったことに気づくはずと思いましたが、ほかに病気もしませんでした。
 中毒にかかった時には近所のお医者にかかりましたが、急性肺炎と言われました。その後2~3か月して、中毒とわかりました。どうも後遺症があるように思ったので、森永にお願いして昭和31年11月20日に九大医学部で立会診断を受けました。ところが、「先天的なもの」と言われ、本当に残念でなりませんでした。
 今も歩くことも話すことも自分で便所に行くことも出来ずにいます。毎日のように何とかならぬものかと、ぐちばかり言って暮らしてきました。子供を見るたびに森永が憎くてほかの人はどんなになったであろうかと、いつも思い続けて参りました。一度は先天的と言われたものでも調べていただけますでしょうか。お願いいたします。
 この子を連れて死のうと思ったことが何度もあります。ある日、山の野原に連れて行き置き去りにして帰ろうと思い、連れ出して野原に置いてみましたが、そんなこととは知らず、めったに連れ出してやりませんので、喜んでいるのです。そこに置き去りにして走って帰りかけて見えなくなるところまで来て振り返って見たところが、相変わらず喜んではい回っている子供を見まして、この子供に何の罪があるのでしょう。そのことに気づき、もう二度とこのようなことはしないと心に誓い、家に連れて帰りました。
 憎むべきは森永と、それより思い続けてまいりました。先生のようなお方がいらっしゃることを知りまして、本当に嬉しく思います。今一度診断を受けてみたいと思いますが、大阪ですと遠いので岡山大学ですと近くなりまして大変助かりますが、如何で御座いますでしょうか。大阪の方がよろしければ、大阪の方でも参ります。よろしくお願いいたします。
中毒児の名前は●●●●●。新聞には名前を出さぬようにお願いします。姓名が出ますと、外の子供(嫁に行っている子供)たちや回りにいろいろと差支えがありますので、お願いいたします。(後略)

   丸山先生                    母 ●●●●●

兵庫県   被害者本人(男性)

(100通近くの中に、被害者本人からの手紙が1通あります)

前略
 僕は赤ちゃんの時に、ミルク中毒にかかったことがあると、よく聞かされたことがあります。それをそう気にしていませんでした。でも、10月19日の朝日新聞を見てびっくりしてしまいました。後遺症があると書いてあるのを見て大変ショックでした。今僕は眼科に通っています。視力は少し落ちていますけれど、神経の方は大丈夫だと医者は言うのです。
 そして冬になると、鼻かぜを引きやすいのです。そしてまた、油濃いものを食べるとじんましんができるのです。僕は今までこれを体質だと考えていました。しかし、新聞にああいうふうに書いてあるのを見ると、体質か何かわからなくなってしまいました。この記事で大変神経を使います。いつ後遺症が出るかわからないのですから、本当に気を使います。
 それで私は決心しました。一度私の体を精密検査を行ってもらいたいのです。まだヒ素が体内にあるのかどうか、見てもらいたいのです。この後遺症が何歳までに出るのか。いろいろなことを伺いたいのです。それでお願いしたいのですが、いつ頃そちらへ伺ったらよろしいのでしょうか。お教えください。お願いします。

               高校1年生 15歳 ●●●●
丸山博阪大医学部教授様

「14年目の訪問」40周年記念シンポジウムの記録画像を配信中
 (「事件と被害者救済」の一番下のページを開いてください。)

 
ひかり協会ホームページもご覧ください

    http://www.hikari-k.or.jp/

 

● 60周年記念冊子(還暦記念誌)500円で頒布中。お申し込みは、06-6371-5304(守る会 平松)まで。どなたにでもお分けします。

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