岡山県での孤立無援のたたかい
「全協」が解散すると各地の被災者同盟も消滅しましたが、唯一岡山県では、「岡山県森永ミルク中毒の子供を守る会」が親たちの親睦のための組織として残りました。その親たちは県に対して継続的な検診を要求したり、「母親大会」に代表を送り訴えたりしたが、世論が盛り上がることはありませんでした。ただ一つの光明は、岡山県内に協力的な医療機関が現れ、1967(昭和42)年に35人の被害者の集団検診が行われたことでした。その結果、被害児に多様な症状が発見され、後述する日本公衆衛生学会での論争における臨床的な裏付けとなりました。
一養護教諭の丸山教授訪問
大阪府の堺養護学校の養護教諭(大塚睦子さん)が仕事上の悩みを大阪大学医学部の丸山博教授のところに持ち込みました。その話の中で丸山教授から「ひ素ミルク被害児の訪問をやってみたら」と言われ、大阪府下の被害者24例を訪問し聞き取り調査をしました。丸山教授は他にも保健師らを指導して、親から直接に中毒児の様子やその後の成長について聞き取りをすすめていました。