2020新春鼎談

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2020新春鼎談(機関紙「ひかり」2020年1月号)  

鼎談者

○松尾禮子さん 富家禎子さん 

  (森永ミルク中毒事後調査の会・元保健師 

○桑田正彦さん

(森永ひ素ミルク中毒の被害者を守る会理事長) 

 

桑田 明けましておめでとうございます。

松尾・冨家 明けましておめでとうございます。

桑田 お二人は被害児の調査活動「14年目の訪問」でご活躍されましたが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

松尾 当時、保健師を養成する学校が大阪府下に2つ(府立と市立)がありました。ある時「府立と市立で交流しようよ」ということになって、集まって勉強をしました。それが卒業してからも続き、「サークルはばたけ」と名乗りました。その会で、冨家さんが府立の世話役、稲村さん(現インド伝統医学アーユルベーダー医師)が市立の世話役になったのです。

冨家 集まっては、仕事のことで嘆いてばかりいました。昭和42年頃は大阪では結核患者も増加しているし、障害児も多かった。差別や偏見が問題となるなかで、私たちは何から取り組んでいいのか、途方に暮れていました。

 そんな悩みを保健師学校の先生に相談したら、大阪大学に丸山博先生という立派な先生がいると紹介されました。早速お電話をして「何をするべきなのか教えてください」とお願いしてサークルに来ていただきました。

 その時「私たち、壁にぶつかっているんです」と言いました。すると先生は「どんな壁?コンクリート?鉄?実際にその壁を見たのかね?」続けて、「これをすれば壁の正体もわかるし、乗り越えられるよ」とおっしゃるのです。そして「森永ひ素ミルク事件のことを知ってるかね」と言われたんです。

 私たちは驚きました。もう10年以上前の事件でしたから。

松尾 私は中学2年の時の出来事だったので、よく覚えていました。でも、私らの悩みとひ素ミルク事件の関係が分からず、戸惑ってしまいました。先生は「その子たちがどうなっているのか、調べ始めている人がいるんだ」と。大塚睦子先生のことでした。

 けれども、あまり気が進まなかったので「考えさせてください」と答えて逃げようとしたのですが、先生から再度「君たち、どうするの」と問われ、とりあえず話だけは聞いてみようということになり、大塚先生とお会いしました。

冨家 お話をお聞きすると、障害を持っている子も多いし、悩んでいらっしゃる親御さんもたくさんいることがわかりました。聞いてしまうと引っ込みがつかなくなり、丸山先生からも逃げられなくなりました。

松尾 私はずいぶん迷いました。丸山先生に対して「先生は大学の先生だから私たちの壁なんか見えないんでしょ」と反発したことがあります。上司や学校の先生にも相談しました。すると「寝ている者を起こしてどうなる。家族が差別されるかもしれない」とか「丸山先生の売名行為に踊らされてるだけだ」と言われ、それをそのまま丸山先生にぶつけたこともありました。丸山先生は「君がそう思うならそれでもいいよ」と言われました。

冨家 でも、先生は必死でした。なぜなら被害児の多くが中学3年だったからです。「義務教育を終えるとみんなバラバラになって、もう実態を把握することができなくなる。今がギリギリ最後のチャンス。今しかないんだよ」と熱心に向き合ってらっしゃいました。

 大塚先生から聞いた訪問活動の内容=事実の重みが私たちの気持ちを動かしました。仕事をクビになるかもしれないけれど、それでも仕方ないと思うくらいの覚悟をしました。

 

桑田 大変な覚悟を持って取り組んでくださったのですね。

松尾 丸山先生には戸惑いをすべて相談しました。ある時、「こんなことをしてたら、誰かに襲われるのではないかと怖いです」と伝えたら先生は「君たちより先に僕がやられるよ」。なるほどそうかもしれないと思いました。

 私は、職場からずいぶん圧力を加えられました。上司に「被害児が自分の担当地域に住んでいるので調査に行かしてください」と頼んだら、「事件はもうすんでいるのに、それを再調査したりして、役所へ文句が来たらどうしますか」「私が責任を取ります」「あなたが取れる責任などありません」と。結局、時間内ではなく休暇を取って訪問に出かけました。不買運動を市の労働組合に対して要請しましたが、「あなたの趣味には協力できない」といって断られたこともありました。

冨家 大阪府や近隣の尼崎市では支援団体ができて、労働組合も協力的でした。

 府の公衆衛生研究所に浦田直美先生がおられて、後に私の夫となる冨家孝とともに全面的に協力してくれました。2か月間という短期間で調査を終えて、一気に冊子に仕上げなければならなかったので、印刷などの実務をはじめいろんな世話になりました。

 冊子を作ってから、さてこれに名前を付けないといけない、どうする、となった時、浦田先生が「14年後に訪問調査をしたんだから、『14年目の訪問』がいいんじゃないか」。それはいいということで、このインパクトのある名前になりました。さらに発行者を「森永砒素ミルク中毒事後調査の会」と発案してくださいました。

 また、扉の言葉にある名文「・・・力といっては、めいめいのペシャンコの財布と足しかない私たちが訪ね得たのは・・・」を書かれたのも浦田先生でした。私たちの取り組んできたことをきちんとした形に仕上げてくださいました。

松尾 発表してからも、私は上司から「どこで何をしたのか」と問い詰められました。ほどなく裁判になり、私も証言することになりました。その時には私の親も応援してくれるようになっていました。弁護団から「この問題に対して行政がいかに消極的かを追求したいので、この間あなたが上司から受けた言動を証言してください」と頼まれました。裁判翌日、上司が私を問い詰めようとしてしてきたので、「お待ちください。すぐに弁護士さんに電話します。」と言いましたら、「もういいわ」と絶叫されて、それ以来退職するまで攻撃されることはなくなりました。

 

桑田 訪問調査の後、『14年目の訪問』の発表、そして日本公衆衛生学会での発表とめまぐるしく展開しましたね。

冨家 丸山先生が日本公衆衛生学会で発表された日のことは今でもしっかりと覚えています。

私は、学会に参加して、はじめて岡山に守る会が存続していたことを知りました。訪ねたお宅には、「もとの体に返せ」「恒久救済対策を」などのスローガンがはってありました。頑張り続けていた人がいたことに驚いたし、自分たちがやってきたことが、こんなに大きく展開するとは夢にも思っていませんでした。守る会の岩月さん(守る会再結集後の初代理事長)に、「丸山先生をはじめとする皆さんは、暗いトンネルの中に差し込んできた一条の光です」と言っていただいた時は体が震えました。

松尾 学会の中で、西沢先生が「この調査は医師や専門家がやったものでない。素人が親の話を聴いてきただけのものだ。信用できるか」と発言されると、丸山先生は厳しい口調で「公衆衛生学会は実践者の集まりだ。その実践者のことを信用できないというのはおかしい。自分の子供を24時間見続けてきた親は最高の専門家だ」と批判されました。

なおも西沢先生が「専門家のデータがないじゃないか」と反論した時に、岡山の臨床医、遠迫(えんさこ)先生が手を挙げて「ここに健診のデータがある」と立たれ、私たちの調査結果の裏付けをしてくださいました。後日、このような多くの協力された方たちがおられたことを初めて知りました。

冨家 被害者の親御さんである岡山の南さんという方がお嬢さんを連れて来られて「この子を見てください。この子は今、何のためにここに来ているのかわかっていません」と堂々と発言されていました。次々と劇的な場面が目の前で展開され、本当に感動しました。

 丸山先生はそういった方々がいらっしゃることをすべてご存じだったんです。各地の大学の先生や臨床の先生、自治体の専門家にも働きかけておられたんです。だから、いち早く各地の森永ミルク中毒対策会議の結成など、一斉に協力者が集まったのです。

 衛生学者の丸山先生がそのように準備万端ととのえておられたことが、今になってよくわかります。それが先生の偉大だったところです。

 

桑田 お二人がお若いときに取り組まれた森永事件の調査活動の経験は、その後のお仕事にどのように役立ったというか、影響がありましたか。

松尾 先生が「やったら分かるよ」と言われていましたが、そのとおりでした。

 この体験は、その後の保健師の仕事にもとても役に立ちました。当初から食といのちについての関連が平和にもつながることがわかり、仕事に生き方に反映してきました。

冨家 私もそうでした。この調査活動に取り組んだことを片時も忘れたことがありません。

 健康相談などで問診すると、「あなたはとても具体的な聞き方をされますね」とよく言われました。ある時、九州から来られた方が健康不調を訴えていたので、たんねんに聞いていくと、かつて水俣湾の魚を食べていたことが分かり、水俣病の専門機関を紹介し、未確認患者の申請につないだことがありました。森永の問題を経験していなければ、そこまで生活史を丁寧に聞かなかったと思います。

桑田 最後に、守る会に対して期待されることなどがありましたらお聞かせください。

松尾 2015年ピースボートの旅で参加者と交流した時に、私が森永事件にかかわったことを話すと、事件を知っている人はかなり多かったのですが、ほとんどの人が「今、被害者はどうしていらっしゃるのか」と聞いてこられました。関心をお持ちの人は多いので、ぜひ社会に現在の姿、取組を知らせてほしいと思います。

冨家 事実を知るということは本当に重みのあることで、大切です。今、被害者自身が仲間に呼びかけて、自らの健康保持に取り組む協力員活動をされていることは、世界に類を見ない誇らしいことだと思います。また、森永もずっと救済資金を出し続けて、今は堂々と責任をとっている企業だと思います。私は、今の被害者の皆さんの事実を知るために「65年目の訪問」ができたらいいなと考えたりしています。

桑田 社会に対して、さらに被害者や救済事業についての事実を発信していきたいと思います。新年にあたって、貴重なお話をありがとうございました

 

  ひかり協会ホームページもご覧ください

    http://www.hikari-k.or.jp/

 

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